お椀の音のこと

 私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつゝこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』

すっかり忘れていたことを、この一文を読んで、思い出した。
そういえば、弟の椀はよく話す子だったな、と。

親が共働きだったので、晩ご飯は祖父母宅で食べていた。
毎日18時30分きっかりに晩ご飯ができるのを当時は当たり前だと思っていたが、今になって、祖母の凄さを思い知っている。

10年前くらいになるだろうか。
ある日、18時30分きっかりに全員が食卓に着くと、虫の声がした。
季節は冬だった。虫がいるはずはなかった。
ラジオの音かと思い、ラジオを切ってみる。
音は消えなかった。
「お椀が鳴っとる」
弟が自分の椀に耳を近づけて言った。
「ほんまかいな」
私も弟の椀に耳を近づけた。
ジイという音がじんわりと耳に響いた。

擬音で表そうとすると「ジイ」という表現になってしまうが、決してザラザラとした音ではない。
雑音では決してない。
会話をしていたら絶対に気づかないような、ちいさなちいさな音だった。

その後、祖父母と私の椀にも耳を近づけてみたが、鳴っているのは弟の椀だけだった。

小学生だった私には、弟の椀が羨ましかった。
椀が鳴ったからといって、だからなんだと言われたらそれまでなのだが、当時の私には弟の椀がとても魅力的に思えた。
というか、弟の椀は喋るのに、自分の椀は喋らないということが、つまらなかった。

木の椀だった。木の幹の色そのままの明るい茶色。ふちに赤色の漆が塗られていた気がするが定かではない。側面には花の模様が描かれていた気がする。でもそれも薄ぼんやりとしか思い出せない。

今、私が使っている椀は喋らない。
今までのどの椀も私に話しかけてはくれなかった。つまらない。
私は喋る椀には縁がないのかもしれない。
私がおしゃべりだから椀の方が遠慮してくれているのかもしれない。

椀の声は静かにしないと聞こえない。
コロナ禍で、食事の時も無言でいろと言われることが多くなった。
人間同士は話せないからと気を遣って椀が話しかけてくれるかもしれない。
椀にコロナはうつらないから。

どうもこの音は、漆の割目から木肌に向かって熱が侵入する時に出る音らしい。
もしこれを読んだ人が、漆の椀を使っているのなら、ご飯の前に少し耳をすまして欲しい。
椀が話しかけてくれるかもしれない。