寺社千里行その3 仁尾町の寺社①

梅雨になって、フィールドワークがしにくい分、しっかりブログを更新しようと思う。

今年の抱負「月一回はブログを更新する」(特大フラグ)

 

そんなことは置いといて、寺社千里行その3!いくぜ!(謎にハイテンション)

 

 Attention!

 本当にちょっぴりだけど、第二次世界大戦の話が出てくるので、苦手な人は、「2. 覚城院と金比羅神社」をカットして読んでね。

 

 

1. 弁天宮と斎之神社(〒769-1102 香川県三豊市詫間町松崎)

三豊市での移動手段は主にバス。

詫間駅から仁尾町に移動するまで、待ち時間が1時間くらいあったので、急遽バス停周辺を探索することに。

とは言っても、バスに置いていかれたら、今度は2時間待ちくらいになっちゃうのであまり自由には動けません。

というわけで、近くの2つの神社に行くことにしました。

 

1つ目は弁天宮。

JR詫間駅のすぐそばにある神社です。

本殿だけの小さな神社なんですけど、これがなかなかに侮れない。とっても細かい彫刻が施されているんです。
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紀元二千六百一年、つまり1941年。

見た感じ、本殿は80年前に建てられたものには思えないけど、『香川県神社誌 下巻』(1938年)に記載がないから、恐らくこの神社ができたのは、1941年なんだろう。

後述する金光寺にも関係するけど、本殿だけ他から持ってきた可能性もなくはない。

それか神社の名前が変わったか。

 

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これは脇障子の写真。

顔の部分だけ別の木でできていたけど、外れちゃったって感じかな。

裏面は彫られていませんでした。

全体を見てみたけど、彫師の名前らしきものは無し。

 

それはそうと、なんで全体の写真撮らなかったんだろう……。

いつも、200mくらい移動してから、「あ、撮ればよかった」って後悔するんだよなあ。

 

 

2つ目の斎之神社までは三豊市立松崎小学校の裏の道をひたすら登っていきます。

これもまた、本殿の写真撮り忘れたんだよね……。(ストリートビューで見れるので、気になる方は、Googleマップで検索してみてください)

というわけで脇障子の写真だけ。

 

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右側も左側も同じデザインでした。この花はなんだろう。牡丹かな?

これまた彫師の名前は見当たらず……。

 

香川県神社誌 下巻』P326だと、拝殿もあることになってるけど、焼けたのか解体したのか……。明らかに境内の敷地26坪もないんだよね……。

まあよくある話だ。

 

斎之神社に行ってるときに、長寿院と五社八幡神社が見えたけど、行く時間がなくて断念。遠目から見てもめちゃくちゃ大きかった……。

バスにはぎりぎり間に合いました笑

余談ですが、三豊市コミュニティバスはどこまで乗っても一律100円。お財布にやさしいです。

 

 

2. 覚城院と金比羅神社(〒769-1407 香川県三豊市仁尾町仁尾丁845)

コミュニティバスに乗って、仁尾小学校前で降りたら、覚城院はすぐそこです。距離的にはね。

でも……

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傾斜がキツいんだよ!!!!

まあでも、距離は大したことないので、大丈夫です。

小学生の元気な声を聞きながら、おねえさんがんばるよ笑

 

山門側から行けばよかったんですけど、裏手から行ったので、坂道を登り終えると、帝国陸軍戦没者のお墓に出ました。

香川だと、空襲を受けたのは高松だけで、それも今の高松第一高等学校の正門の前の道から北側が焼け野原になったというイメージしかないから(軍用施設があったところは、郊外でも焼かれているんだけど)、戦没者といえば高松空襲かな?って思っちゃうんだけど、当たり前のことながら、徴兵されたのはなにも高松だけではないわけで。そんなことをまじまじと考えさせられた。

ちょうどフィールドワークから帰ってすぐの授業で、音研の教授がおばあちゃんから空襲の時の話をきいたって話をしてて、これまたローカルな話になるんだけど、峰山(その1で紹介した石清尾八幡宮の裏にある山)の南側に住んでいた教授のおばあちゃんは、空襲の被害を受けずに無事だったんだけど、逆に北側に住んでた親族の方には亡くなられた方もいたらしくて、山一つ挟むだけで、こんなに運命が変わるんだねって言った。

まあ何が言いたいかって、7,80年でこんなに出来事って風化するのかって話。私と同世代ぐらいが、戦争を体験した人から話を聞ける最後の世代くらいだと思うから、これから先の、それこそ令和生まれの子たちって、どんなふうに戦争をとらえるんだろうね。実際に体験した人から聞かないとさ、やっぱわかんないことあるじゃん。難しいね。

 

話が半端なく脱線したけど、許してね。ブログって自分のためのメモ的な面もあるから、見返して発見があるほうが楽しいから、たぶんこれからも時々脱線する。

 

さて、墓地の階段を降りると、ちょうど金比羅神社の前に出ました。

金比羅神社は覚城院の境内にある神社。

天井絵と彫刻がとてもきれいです。

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右側の天井絵は、きれいに塗りなおされていました。

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玉眼は失われているけれど、笑っているみたいで可愛い龍。

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写真だとサーモンピンクっぽくみえる上の2つの写真は、それぞれ拝殿の右側と左側の彫刻。ここだけ木が新しくなっていたので、最近変えたのかな。

 

山門側に移動すると本堂が。

写真には撮らなかったんですけど、中には曼荼羅なんかも見えました。

ガラス張りなので、いつでも見られると思います。

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山門の飾り瓦。子連れ狛犬がかわいい。 

覚城院に祀られている、鬼子母神と関係があるのかな?

 

最後に覚城院のウェブサイトのリンクを貼っておきます。

境内の写真なんかも見られるので、クリックしてみてください。

国の重要文化財の鐘楼の写真もありますよ!

覚城院【かくじょういん】良縁・子授け・安産祈願・発育|結婚式・神社婚 (kakujouin.jp)

 

 

3. 金光寺(〒769-1407 香川県三豊市仁尾町仁尾丁910)

さて、ここでみなさんに問題です!

この写真、お寺でしょうか、神社でしょうか!

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後ろから見るとこんな感じ。

 

金光寺でこの不思議な建物を見ていると、後ろから声をかけられました。

「すごいでしょ、これ」って。

金光寺のおじゅっさんでした。香川の人は住職さんのことをおじゅっさんと呼びます。

「すごいです!」って答えたら、いろいろ話してくださいました。

 

皆さんお分かりでしょうが、ここはお寺です。

でも、この建物、どうみても神社建築なんですね。

どうしてなんでしょうか。

 

1873年、西日本を中心に血税一揆が起こりました。香川県で起こったものは竹槍騒動と呼ばれます。

金光寺のある三豊町は当時三野群と呼ばれており、一揆が始まった下高瀬村を含む群でもありました。

徴兵反対を中心に掲げた一揆でしたが、同時に学制的教育に対する反感も一揆の要因として大きく、この一揆では48校もの小学校が焼かれます。*1*2

これらの小学校はその多くが寺院、民家によって代用されていました。石島氏によると焼けてしまった小学校のうち、30校が寺院によって代用されていたそうです。*3

金光寺もこの中の一つ。今の仁尾小学校があったのが金光寺でした。

 6月26日に始まった一揆は、翌27日に観音寺にて激化。観音寺の町中にあふれた一揆勢は午後2時ごろに金光寺のある三野群仁尾村へやってきます。この時に、金光寺は焼かれてしまいました。

 

さて、本堂が焼けてしまった金光寺。本堂を再建しなければいけません。

そこでやってきたのは、使われなくなった神社の社殿でした。それもお隣の愛媛県からです。 ばらばらにして運んできて、そのまま組み上げたものが今の本堂になります。

だから、お寺なのに神社建築なんですね。

 

 「中を見たら、もっとよく神社だ!ってわかるんだけどね」と住職さん。

こういう時に、見せてもらえたりしませんか?って言えないのが私の弱いところなんだよなあ……。

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「これ、すごいでしょ。全部透かし彫りなんだよ」

遠目から見たら気づきにくいのですが、近づいてみるとそこら中に透かし彫りの彫刻が。

ひええ……。すごすぎる……。

 

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となりの建物の屋根瓦もとってもかわいい。一富士二鷹三茄子

かわいいですね!って言ったら、目の付け所がいいねって言われました。わーい!

 

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「そうだ、これ見せてあげる」

といって、住職さんは、大師像の下の扉を開けてくださいました。

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中には小石がぎっしり。経石です。

「これ元々は、野菜を入れる箱5杯分くらい石があって、その中で字が読み取れるものだけ貼り合わせて展示してるの。残りのやつは、下に穴を掘って粘土で崩れないように固めて、その中に埋めてある」

たしかに横を覗くと小石がぎっしり。これが下まで続いているんですね。

「いろんな字が書いてあるでしょう。華とか妙とか。色々調べたんだけど、なんのお経を書いたものかはわからなかったんだよね」

私にもさっぱりわかりません。これがなんの経典か解明できるくらい勉強しよう。そしたらドヤ顔で住職さんに会いに行けるもんね。

 

写真撮っていいですか、と聞いたら、「いいよー、撮り終わったら閉めておいてね」と快く了承してくださいました。というか、私触っていいんだ……。見ず知らずここに極まれりの不審者なのに……。

 

最後は、「仁尾の寺社回ってるの? いいね、楽しんでね」と言って送り出してくれました。住職さん、とってもいい人でした。

 

 

まだ一つも三国志作品に出会っていないのに、すでに満足し始めている私。

でも、金光寺の本堂の中見たかったなあ……

 

……。

いや、ほんとはねちょっとのぞいたんですよ。隙間からちょこーっと。

仏さまと目が合いました。天井の。

天井の。

そう、天井画。見た瞬間、心臓止まって反射的に3歩くらい逃げました。

これはやべえ。絶対いつかリベンジしに行く。

この天井画は、すごい(迫真)

 

で、私は何しに仁尾に来たんだっけ? YOUは何しに仁尾町へ?

三国志の絵馬と彫刻を見に来たんですよおねえさん。

あと何か所回らなきゃいけないと思ってるんですか。日が暮れちゃいますよ(フラグ)

ああ、そうだったそうだった。

って、おおっとぉ! 道の向かい側に、全人類が大好きな看板があるぞ! これは行かねば!

というわけで、寄り道追加です。

 

4. 常徳寺(〒769-1407  香川県三豊市仁尾町仁尾丁930)

はい、ここで第2問!

全人類が大好きな看板ってなーんだ!

 

正解は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ。

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このこげ茶見ただけでテンション上がるでしょ?

猫にまたたび、人間に重文看板ってことわざもあるでしょ?(そんなものはない)

さっきの覚城院の鐘楼のところには看板がなくてしょんぼりしたから、五割増しでテンション上がった。

 

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看板の木の色を、円通殿の木の色にそろえてるのが粋だねー。

 

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天井画もすごくきれいに色が残ってる。

こういう本気で古い建物って、そこだけ時間が止まってる感じがして、怖くて好き。

触ったら吸い込まれそうだよね。

 

金光寺のすぐ裏にあるのに、ここは焼けなかったんだなあ。

目の前が焼け野原になるのを見ながら、竹槍騒動の時も今も変わらず建っているって、本当に時が止まっているみたい。

 

 

5. 広厳院(〒769-1407 香川県三豊市仁尾町仁尾丁982)

Googleマップで、2019年に撮られた、倒れた脇障子の写真を見つけて、今はどうなっているのか気になって行ってみた。

 

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これは、広厳院の境内神社の脇障子の写真。

2年前の写真より風化してる気がする。

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右側は、違う板がはめ込まれている。でもそれもボロボロ。

 

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それぞれ、本殿左側面と右側面の彫刻。

ねずみとうさぎ。

これを見たとき、小学校の教科書に載ってた『ゆうすげ村の小さな旅館』を思い出したんだけど、同世代になら伝わるかな? たぶん3年の教科書だったはず……。東京書籍の……。


広厳院の本堂の中は、土ぼこりに覆われていて、長い間使われていないみたいでした。

 

本当はもっと写真撮りたかったんだけど、スズメバチに遭遇したので退散。

だってスズメバチは洒落になんないんだもん。
 

 

次回予告

仁尾町は歩いていたら、すぐに寺社に遭遇します。

 新しい建物がほとんどない独特な街並みは、ここだけ時が止まっているみたい。

とっても素敵です。

あちこちフラフラしていたら、この時点で工程にだいぶ遅れが。

どうにかなるでしょ、と楽観視していたら、このあと地獄を見ることになるのであった。

そんな波乱フィールドワーク、②で終わるか、③まで続くかは、まだ書いてないのでわからないんですけど、とりあえず次回に続きます!

 

それでは、また次回!!

 

参考文献

佐々栄三郎『讃州竹槍騒動―明治六年血税一揆』(1980年)

佐々栄三郎『讃州百姓一揆史』(1982年)

香川県神職会『香川県神社誌 下巻』(1938年)

*1:佐々栄三郎『讃州竹槍騒動―明治六年血税一揆』(1980年)P198

*2:山形大学講師(当時) 石島庸男氏は「西讃農民蜂起と小学校焼毀事件」(鹿野政直、高木俊輔編「維新変革に於ける在村的諸潮流」所収) なる論文において これを五十七校としておられる。石島氏の数字が九校多くなっているのは、これらの施設の多くは寺院、民家によって代用されており、右の表の区事務所三十一ヵ所のうち七ヵ所、出張所七カ所のうち二ヵ所が小学校との共用であり、この共用部分を小学校数に計上したなどの事情によるのではないかと思われる。(佐々栄三郎同P201,202)

*3:石島氏によれば、小学校施設所有者別数は寺院三十、民家十四、公設建物三、不明となってお り、また、本校四十二、分校十、不明五となっている。(佐々栄三郎同P202)